フリーランス言語聴覚士はしっ子の、こだわらない話

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~このブログを本にしたい

言語聴覚士と料理の関係

【第96回】

言語聴覚士と料理の関係

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子どもの頃、ばあちゃんの料理の音が好きでした。



木の厚いまな板に

今とは違って重めの包丁



ゆっくりトントントントンと
切る音が聞こえる



赤味噌の味噌汁に

甘いカレー


納豆はまな板で細かく切り
ひきわり納豆にしてくれた。




そんなばあちゃんの
料理初めの言葉は


「あぁ、めんどくさい」


弱くなった足腰に
めんどくさそうに立ち上がり


トントントントンと始まる。




料理は好きじゃなかったような
ばあちゃんですが


すごく自然体で

その食べるまでの一連の過程が


幼心に好きだったことを
思い出します。






そう、料理って
めんどくさいもの。





手間をかけ、
丁寧に工程を重ねるほど



おいしくなるのはわかっているけれど



出来れば


チャチャッ、パッ、

ジュージュー、サササッ


で完成、

それで終わりにしたいも本音。





だけど、


やっぱり手作りはおいしい。


炊きたてのご飯のツヤツヤのおいしさは、


何度食べても飽きのこない
食卓の永久不滅の天下一品。



ただ焼いただけでも、


冷蔵庫の余り物をいれた
味噌汁でも、



手作りご飯は

しっかり腹を満たし、

体の隅々まで行き渡る感じがする。



そして、


やっぱり手作りごはんを食べたあとは


調子がいい。



体も心も気分がいい。




手作りごはんで

自分の体を癒してやるって、


そんな力がある。



自分の体を自分で整える。


日常でできる簡単なメンテナンス。




心がざわつくとき、

日常に追われているとき、



自然と料理から離れていて
ハッとすることがある。




そして、また


面倒でも、嫌々でも


キッチンに立ち、


なんとなくいつもの工程を始めると



だんだんと心も体もノッてくる。




そしてまた、

自分にあったリズムが整ってくる。




料理って不思議。


人の細胞を輝かせる力がある。





私はいつもこんなことを日々考えながら、


めんどくさいとおいしいを行ったり来たりしながら、


自分と家族の「食」を意識しています。







成人領域でも小児領域でも、


言語聴覚士のお仕事は、「食」に大きく関わります。





「食」は「いのち」。




「食べる」という行為は、「いのち」を育む行為。





私たちは、明日からの生を真正面から受け止めるために
生涯、食と向き合っていく。



そのためにも、
自分が何を食べたいかがわかり、

自分が今、何が不足しているかをわかることが必要です。




そして、

けして料理上手でなくてもいいので、



自分が今、元気になりそうな食べ物、
身体に取り入れたい食べ物を用意できる力、



自分を満たし、喜ばせられる食事を
用意できるか、はとても大切なことです。





自分の「食」に向き合えるからこそ、

人の「食」にも向き合うことができる。





自分の一食、一食に心の注意を向けられる人は、

人の一食、一食にも細心の注意を向けられる。






それが、看取りの現場だったら、

最期の一口を大切にできる人なのでは、と思うのです。






そして、自分で調理していると、


嚥下食の工夫やバリエーションなども浮かんできます。


ご家族へ伝える言葉も、リアリティーのある助言につながってきます。




刻み方、あんかけの程度、
卵でとじたり、やわらかさの具合いを普段の料理で感じたり、



最近の調理家電の実践や
調理関係の新商品もどんどん試してみるなど、



どこに嚥下訓練の場にいかせられる「材料」が転がっているか、
わからないものです。



臨床の場での改善点は、
思わぬ暮らしの場に転がっていることもあります。







料理が出来なくたっていい。




「食」を適当にしないで、
自分で食事を用意してみる。





自分の「食」と向き合うことで、
人の「食」にも向き合うことができる。





私は、言語聴覚士と料理は
とても大切な

切っても切れない関係だと思っています。