フリーランス言語聴覚士はしっ子の、こだわらない話

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~このブログを本にしたい

そもそもなぜカフェなのだろうか。その弐

【第52回】


そもそもなぜカフェなのだろうか。

前回は、自分のカフェにまつわる『原点』と、自分の中の『カフェという存在』について書いた。



今回は、その弐。


『カフェというツール』について、書きたいと思う。



なぜ、カフェだったのか。
なぜ、カフェを選んだのか。


それは、カフェは、ひとつのツール(手段)に過ぎないというだ。



よくこんな質問をいただく。


「昔から、カフェをやりたかったの?」


これに関しては、肯定も否定もしにくい。


確かに、小学校の卒業文集で、20年後の私は、喫茶店を経営していると書いていた。


でも、それは

漠然とした夢ではあっても、
本当の夢とは違っていた。


カフェをやっている自分は妄想しても、
本当に経営している自分を描いていたわけではない。


ここで重要なことは、
今回、カフェを始めたことは、あくまでツール(手段)である、ということ。


表現し、社会に存在するために、カフェという土台を作ることが最も適していることに思えた。



世の中は、専門家の敷居が高い。

専門の意見に触れるために、かなり遠回りすることもある。


「あの時、知っていたら、どんなに心が軽くなっただろう。」


そんなことだって多々あると思う。




まずは、一般に向けて窓口を広げる。

介護のこと、嚥下障害のこと、看取りのこと、私が話せることは限られているけれど、


カフェに来られて、情報を求めている人へ、
フリーオープンな場所に専門家が滞在していることは、価値あることと思うのは私だけだろうか?



インターネット社会でなんでもすぐに調べられても、

「知識は増えたけど、本当のところはわからない」「だから、現場の本当のところを教えて」

そんな話をよく頂く。



情報は生ものだから、
鮮度ある情報を、安心なルートから仕入れた方がいい。


北見市は、狭い地域だからこそ、


〇〇分野は、専門家の●●さんへ、
△△分野は、専門家の■■さんへ、


町の専門家が face to face で 町の人とつながる、
そんな街づくりだって、確かな街づくりだと思う。




だから、箱カフェまんまる茶茶は、テーマを「つながり」としている。




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