フリーランス言語聴覚士はしっ子の、こだわらない話

~北のマチのフリーランス言語聴覚士の医療教育系ブログ~このブログを本にしたい

【特別コラム】フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る

【第95回】

特別コラム

フリーランス言語聴覚士になるまで~自分史を振り返る~」

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さて、どこから振り返ろうか。


頭の中に数々の場面が回想される。


そうだ、ここからにしよう。


私がフリーランス言語聴覚士になって
4年近くがたつ。

思えばいろんな事柄を手掛けてきた。


それは、事業と呼べるほど
しっかりとかっちりとしたものではなく、

「こんなのあったらいいな」が

ひたすら形になるように動いてきたもの。

成功か失敗か、そんな二択ではない、

大きな発見と数々の出会いと
素直に動くことの喜びを感じさせるものだった。


こんな形で働けるようになれたこと。


これは、ビジネスモデルでも
成功ノウハウでもなんでもない。


一人の女性として
一人の言語聴覚士として


働くことを見つめ直し、
暮らしを見つめ直し、
生き方を見つめ直した

精一杯、自分のうちなる声を聞き続けた結果、今に至るというお話です。



〈草創期〉

北海道の片田舎で3女として産まれる。

365日外で遊びたい、ままごとなんて大嫌い、冒険や新しい遊びをしたい

そんなエネルギーをもて余している子どもでした。

じいちゃん子で、
よく一人で遊びに行って

何をするでもなく、古い家にじいちゃんと過ごす時間が好きだった。

高校生になり、進路選択で
将来は人の役に立つ仕事がしたい、と漠然と決まっていて、

ふと目にした職業紹介ページで「言語聴覚士」が紹介されていて

その「珍しい」「他の人がやっていなさそうな」「言葉のスペシャリストのかっこよさ」に釘付けになり、

まだ一度も出会ったこともない言語聴覚士という道を歩むことを決める。


当時、
徐々に脳血管性認知症の症状が出ていて独居が難しくなったじいちゃん。


少しの間だけ一緒に暮らした時期のこと。

高齢者と暮らすということは、
当時、女子高生花盛りの私には辛かった。

あれだけ好きだったじいちゃんなのに、優しくできず話しかけることも、視界にはいることさえも躊躇していた気がする。


「まだまだ子どもだ」


じいちゃんが私にいった言葉が忘れられない。


そんなじいちゃんが次第に嚥下障害になってきた。
 

高校生の時から、「口から食べられなくなること」を考えるようになった。


言語聴覚士を目指しているのに、
嚥下障害の治療が言語聴覚士の職域とは全く知らずに。


知らず知らずに
引き寄せられるように

この世界の扉を叩いていた。



言語聴覚士養成校に入り、
専門性に苦戦しながらも

アルバイトでお小遣いを捻出し
「国家試験浪人」にならないように、
必死で3年間を過ごした。

当時の仲間は戦友のようで、
他の友人達とも一線を画している。


なんとか滑り込み合格、
晴れて言語聴覚士免許取得し

これまた滑り込み就職し、

当時、何も知らなかった介護保険の世界へその後どっぷりつかることになる。



〈開拓期〉

就職してから、
それはもう夢中だった。

奨学金の返済もあるし、
他の働く場所だってない。

ここで一人前にならなければならない。

つねに背中を押されていた。

PTの仕事もOTの仕事も盗めるものは盗んで、自分のアイテムを増やしていった。


やるしかなかった。


何より私にはコンプレックスがあった。


持ち前の適当さやドジさ、
イジられることも度々あった。

それ自体はいいけれど
幼少期からの負けず嫌いもでて、


就職してからも
「ちゃんとやってるの?」と友人達から言われることは我慢ならなかった。


気づけば5年経ち、
自分でも言語聴覚士らしい仕事ができるようになったと自信がもてるようになってきた。


そこでふと、疑問がわいた。



「私はここ以外、なにも知らない」



言語聴覚士として働くこと。

この職場では、ある程度みとめてもらえていると思う。裁量権もある。


でも、他の場所では
私の言語聴覚士としての価値はどうなんだろう?



ここに気づいたとき、
怖くなった。


このままここでキャリアを積み続けていいのか、その問いが頭から離れなかった。


スキルアップのため、毎月お金と時間をかけ研修会に参加し、

その後、管理職を任されるなど経験しながらも

そこに真の魅力は感じなかった。



「自分の言語聴覚士としての価値」


ずっと、このキーワードが
頭をこだましていた。




〈変革期〉

当時、結婚3年目。

共働きで二人ともそれなりの収入があって、

自炊せず、欲しいものを買い、
遊びに出かける


そんな適当な生活をしていても
なんとなくお金はある状態。


それがひどく生活感のないものに感じ、

働いて得たお金が何に変わっているか
実感がなく、


ただ時間とお金を等価交換しているように思われた。


夫婦でいても、寄り添いあっているというより、それぞれが自分の生活を遂行するために、毎日を暮らしている感覚。


人には「それの何がいけないの?」と言われるかもしれないが、

私にはそこに「生活感」というかけらも感じられなかった。



もっと、時間を1日を大切に使いたい。

晴れた日は晴れの一日を思う存分楽しみたい。

誰かの決めたスケジュールに沿って時間を消費することはしたくない。

毎日同じ人たちと顔を合わせ、
10年後も同じように挨拶を交わし、
出会う人、交わされる会話、新しい情報に限定された生活を送りたくない。


なにより、もう一度
一から「時間とお金」を見つめ直し、
「人」との関係を構築したい。


そう、心が求めていた。


実力主義の世界に身をおき、
評価される自分に価値をおき、

いつしか自分にも周りにも優しさがなくなり、体型変化が止まらなかったとき


自分にたくさんの「我慢」を強いていると感じるようになった。



私に、「時間」という絶対的な価値を教えてくれた、「看取り」。


この人生は1つしかないこと。
時間には限りがあり、有限であること。
無限だと思っているものは偽りであること。


死から生を学ぶ、死生観を
20代のうちから学べたことは

自分のこれからの生きる指針となる財産となった。




「今」を生きたい。



忙殺される日々の中で、
その言語聴覚士という仕事の魅力を失いかけながらも、


やっぱりこの仕事が好き、と
再びこの職業を選び直し、
この仕事を自分の生き方とすることに決めた。


たった一度の人生、
「人のために時間を使おう」

多くの尽きていく命を前に
自分の命の使い方も強烈に考えるようになった。



働きたい場所がないなら、
自ら働きたい場所をつくるしかない。


働きたい仕事内容が合わないなら、
自らその仕事内容を生み出すしかない。



価値創造。



言語聴覚士として名乗り、
働くにはこの道が自分らしいと思えた。




〈奔走期〉


フリーランス言語聴覚士


当時、フリーランスという言葉が流行りを見せていた頃。


でも一般人にとっては
組織に所属することが当たり前。


ましてや、医療や介護業界で医師の指示のもとに働く言語聴覚士が、

いかにして仕事を得るのか
周りからの理解は示されているとは言い難かった。


しかし、井の中の蛙、大海を知らず。


ローカルで専門性がある、ということで
仕事の依頼がくると、メールの問い合わせばかり見ていた日々。


ほとんど営業活動もしていないのに。

本当に仕事はやってくるものだと思っていた。


当然目が覚め、

できる小さな一歩を探し、
「嚥下障害予防」にシフトを置き、
始動することになる。



なぜ「嚥下障害予防」だったかといえば、

あの日のじいちゃんがあったから。

「まだまだ子ども」と言われたじいちゃんに、言語聴覚士として向き合えたのはわずか7日間。

最後は臨終の場にもいられなかった。



看取りの命の現場で
たくさん立ち会わせてもらった

最後の命の尽きるとき。



最後の姿が美しくあるように、
早期から嚥下障害を知り、予防ができることは、その人の最期を決める重要なものと思われた。


なにより、

自分の生きた時間も
他人の生きた時間も

大切にしたかった。



後悔のないように。

生きる選択肢の上に、「嚥下障害予防」があるように。


活動基盤を作り、

講演依頼や講師など、少しずつ活動の機会に恵まれるようになってきた。


同時に、かつて願った

これまでに出会っていないたくさんの人たちと出会い、仕事を共にしたい


その願いのもと、


コラボレーションなどの機会も増えてきていた。


段々とチャレンジすることへの恐れが遠退き、行動のスピードが加速する。


その後、言語聴覚士が営むカフェの経営、嚥下食の開発など多岐にわたる挑戦をすることになる。

  

〈移行期〉


移行期、今。


今、私はすごく自由に感じている。



この約4年間を通じ、

チャレンジと修正を繰り返し


フレキシブルな働き方が身に付いたと感じるから。


なにかに固執するわけでもなく、
フリーランスの本当の意味を、
そして価値を、真に感じられるようになったことが最近であるからだ。


ずっと、事業として形にしなければと
焦っていた。


事業化、収益化、

形にこだわり、継続にこだわっていた。




でも、


このコロナショックの今。



世界が、日本が
大衆が、個人が

大企業も中小企業も

働き方、生き方、考え方



変わることを余儀なくされる今、


結局、素直に変われた人だけが
衰退せず残っていく。


この原則は古代から変わらない。



変態すること。
つまり、成長にあわせ変化させること。



いつの時代もこれができなければ
淘汰されるだけ。



安定なんて、安心なんて
そう思いたい思い込み、

儚い幻想でしかないのは悲しい事実だ。



だから、
今日も私は、活動の軸は変えず
その「在り方」は自在に変えながら、



自分の限りある時間を使って
何を表現し、

どんな人を幸せにしたいのか


こだわりながら考え、行動変容していく。



成したいことは、決まっているから。



その実現に至るまでのステップを
いくつも持っている人は強い。


過去や経験に縛られる人は
変化に弱い。



ふとした時にいらぬ考えに頭が及び、
すっと悩みの中に入り込んでしまうこともあるけれど、


その時は何度でも
自分のうちなる声に耳を済ませ、


自分の人生軸に定めた
自分の生涯の仕事を誇りに思いながら

丁寧に見つめ直せばいい。



フリーランス言語聴覚士になって
心からよかったと思う。


出会いや経験、
組織外だから起こる異業種とのマッチング


楽しくて
自分の未来に期待して


また今日も未来を描く。



この人生の生業における思いはきっと、
水をかけても消えない炎のように


これからも燃え盛っているだろう。


フリーランスだからこそ、
その火加減も自由なのだから。

あなたとあなたがいてくれるから

【第94回】

あなたとあなたがいてくれるから

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いつもこのブログに訪問くださり
ありがとうございます。




今日はすごく当たり前のことを
書きます。



でも、当たり前すぎて
見逃してしまう大切なこと。





すべての感情や経験は、
相手がいないと成立しないということ。




この春、お仕事で
新しい環境が始まったり、

新しいメンバーを迎え
仕事を教える側になった、

そんな方も多いと思います。





なんでこんな言い方するんだろうって、

なんでそんな態度とるのって、




そんなつもりで言ったんじゃないのに
伝わらない


逆効果になる、



なんでなんで、



そんなことも今時期は
多いかもしれません。




特に指導者側にまわるとき、


思ってた行動をしてもらえない、

素直に聞いてもらえない



そんな風に感じることだって
少なくないものですよね。




でも、仕方ないんです。



自分と相手は違うから。



自分がわかったことが、
相手も同じ過程でわかるようになるとは限らない。


知識量、理解力、処理速度、想像力…



人と人が同じようなステップで成長していく、そんなことはあり得ないことです。




すごく当たり前のことを
言ってしまいますが、



後輩がいないと指導はできません。


受けとる相手がいないと
今のような悩みを持つこともできません。



すべては経験。



相手がいないと
経験することもできない


相手がいない
と学ぶことのできないこと


なんですよね。





私はかつて、指導にあたり
気ばっかり焦っていた時がありました。




早く一人前にしてあげたい。



その思いは立派でも、

相手にとっては
逃げ場をなくされているように

感じていたのかもしれません。




どこかで私の中でも


「私はこれで成長してきた」から、


この通りにやれば上手くいくのに、


そんな様に相手を当てはめようと
していたのでしょう。




一向に心は繋がらず、
すれ違いを感じていました。




相手がいるから教えられる、

受け取ってくれる人がいるから
伝えられる、



そんな当たり前の原則を

すっかり忘れていました。




でもね、


本当に

すべては
相手がいるからできること。




たとえ悩みであっても、

たった一人では悩みも経験もできません。




成長するためには、


自分以外の相手が必要。



これは職場でも家庭でも同じです。




あなたがいるから成立する。



あなたとあなたがいてくれるから
見えてくる世界がある。



思うようにいかないことを
相手のせいにすることは簡単です。



でも、それでは
いつまでたっても解決しない。




私が過去の経験で得たものは、


「自分と相手は違うということ」と、


「待つこと」


でした。




自分一人のペースでやっている時には

学べない経験。



まさに相手がいたから
知れたことでした。




みなさんはどうですか?



「いてくれてありがとう」

この気持ちを根底にもてるかどうかで、

言葉や態度は変わってきます。




人間関係はどちらかが
窮屈に感じると成立しない



相手に向き合う心に
少しだけ余白を持てると、


相手を追い詰めてしまうことも
防げると思います。



人の心と人の心。



いずれも毎日変わる生物です。



合うときも合わないときもある。



だからこそ、


そもそもが「相手がいないと成立しない」ことを踏まえた上で、



少しだけ余裕を持ちながら
向き合っていけると


関係性は変化していく、


相手の成長度合いで
自分を責めたり、モヤモヤしたり


必要以上に自分のエネルギーを
そこに割かないで、



適切な距離感をもって
関わりあいをもてるのでは、と思います。




自分も相手も苦しめることなく、
適切な距離感を考える。



そのためには、
「あなたとあなたがいてくれるから」


そんな視点も大切だと感じています。

今できることを粛々とやる

【第93回】

今できることを粛々とやる

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今、皆さんは
どんな毎日をお過ごしですか?


誰もが認める非常事態。

なかなか思うようにいかない
毎日かもしれません。





それでも、

それでも




いかにして主体的に毎日を過ごすか、


これが私たちに今、出来ることです。




振り回されるではなく、

主体的に時を過ごせるか。



一日のうちのひとつでも、
いくつかでも構いません。



朝はこの時間に起きようとか、
夜ご飯はこれを食べようとか、


少しだけスクワットしよう、
あの人のYouTubeを見ようでも、



なんでもいいので




自ら選び、自ら決めたものが



一日のうちにいくつあるかで


今日という日を主体的に送れたかが
決まってきます。




一日の連続が毎日。



少しだけでも
主体的に過ごせると、



心はとても気持ちのいいものです。


体も少し軽いものです。




そして、


「これがやれたから、これもやってみよう」




少しだけ心がプラスに働いて


「ちょっとやってみるかモード」に
アチェンジ。



そうして、
「どうでもいいや」モードから、


「やってみるか」モードへ
変化していきます。



そうして、
自分で自分のリズムをつくることができたら、


それは誰かや何かに振り回されない


「主体的」といえます。




これ、とっても気持ちのいいものです。



自分で舵取りができているから。





いま、急に推し進められた
リモートワークに


右往左往し、振り回されぎみな人も
少なくないと思います。




思ったようにいけない、


そんな時こそ



自分でコントロールできる範囲のものを

思ったようにする




ここから、徐々に


自分らしい

心地よいペースが掴めてきます。





イライラしたらこっちの負け。



ストレスを人にぶつけたら
悲しみが増えるだけ。




少しでも心地よく時を過ごせた方が、


家庭も仕事も自分の体の調子だって



いい方に向かっていきます。



そういう風になってるんですよね。





自分が心地よいリズムで
自分のペースをなるべく乱さない。



誰かや何かにペースを乱されることを
良しとしない。




少しでもいいから
主体的に日々を送る。




これが、
今できることを粛々とやる



ということに、繋がってきます。




コントロールしようとする人、
コントロールしようとするマスメディアに
惑わされないで



私たちに今できることを
粛々とやる、



慌てない、乱さない、乱されない




どうか、落ち着いて時を過ごし、
判断できる人が広がりますように。



そう願っています。

その行動はなんのため?

【第92回】

その行動はなんのため?


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いつもこのブログに訪問下さり
ありがとうございます。




本日のテーマ、ずばり

その行動はなんのため?



人が何か行動を決める時、

そこには何かしらの「動機」があります。




無意識に選択している行動も、

すべて自分の中で判断し、行動に結びついています。



習慣的行動ならほぼ反射的に判断しているし、




初めてのものなら、判断するまでにじっくりと

過程を踏んで行動に結びついているものです。





この時、行動を決定するために

もとになる「動機」があります。





自分の中から湧いてくる内発的動機づけと


外部からやってくる外発的動機付け





大きく分けるとこの2つ。





さてさて、この動機付け。



考えてみると面白いものなんです。





例えば、
「この分野を勉強しなさい」と誰かに言われた時。



内発的動機付けでは、
きっかけは人から言われたことだけど、



「自分に必要な勉強だ!」と
自ら熱心に取り組む。




その点、外発的動機付けでは、

「言われたから仕方ない」としぶしぶやる。



怒られたくないから。

嫌われたくないから。

やる気がないから、そこそこに取り組む。





さて、効果的なのはどちらでしょうか?





もちろん同じことを取り組んでも、

実践的で実学に結びつくのは前者ですよね。







例えば、
社会に必要だと思う新しいサービスを始めようと思ったとき。




自分の経験に基づいて、

苦労している人を見てきたから、
その人たちが幸せになれるサービスを新たに作りたい


内発的動機付けは、
自分の中から湧き出てくる動機です。




対して、



外発的動機付けでは、



自分ではそのサービスが必要なのか、
よくわからないけれど、


周りが勧めるから、きっと稼ぎになりそうだから
〇〇さんに喜ばれそうだから、



自分の内からくるものではなく、

外からかかる言葉や期待、
誰かの意志にコントロールされるように行動決定します。





この行動決定における
内発的動機付けと外発的動機付け。




行動のもとになる「動機」が長く持続し、
目標達成に導きやすいのは、


内発的動機付けの方だそうです。





ここまで読んでくださった方なら、

当然だな、と思うかもしれません。





誰かからそそのかされたり、
無理矢理に指示されたりしたものは

集中して行動できるのも一時的、




自分から主体的に選び、取り入れたものは

やる気みなぎり、
目標達成まで最後まで走り抜けられる。




こういった仕組みになっているんですよね。






さらに心理学でいわれていることを
付け加えますと、



ある恐ろしい研究があります。




ある実験の現場において、

実験指導者から、被検者Aさんは、被検者Bさんに
痛み刺激を加え続けてください、と指示があります。



被検者Aさんは、自らの意志では
被検者Bさんに痛み刺激を加えることを抵抗します。


ですが、自分の行動のもとになる実験指導者の指示を受け入れると、
被検者Aさんは被検者Bさんへ痛み刺激を加えることができるようになります。



はじめは、弱い痛み刺激から。

徐々に強い痛み刺激になり、
最後には被検者Aさんはかなり強い痛み刺激を被検者Bさんに与えるようになる。



人間は、自分ではない人の指示によって、
非道なこともできてしまう
、ということが証明された実験です。




そこには自分の意志はなく、
「言われたからやっただけ」という構図ができるからです。




本人に罪意識はない。



恐ろしいですよね。




こうして実験で客観的にみると、恐ろしいですが、

実はこのようなことは実生活でも

日常よく行われていることです。




オレオレ詐欺の売り子役の人も、

お金を取りに行けと言われたから受け取りにいっただけ。

直接加担していないから、罪の意識はない。




学校のいじめの現場で、

学校の裏サイトの空気を読んで
誰かの悪口をみんなと一緒に書き込んだ。


首謀者が作った流れがあるから、
自分は空気を読んでその流れにのっただけ。


そこに罪の意識はない。





人間って、恐ろしいものです。




行動決定にもとづく
内発的動機付けと外発的動機付け。




外発的動機付けは悪いものではありません。



初めは、外発的動機付けがきっかけになることも多いからです。



「やれ」と言われてやってみたら

意外に楽しく、自分に合っていた、
そんなこともよくあることです。




それは、
きっかけは外部からのものだったけれど、

その後は自分のものにしていったからですね。




少し難しい話かもしれませんが、


大事なことは、


勇気をもって何かを始めるとき、



その「動機」は自分の中からのものなのか、

外からのものなのかを意識できるといいと思います。



なぜなら、
内発的動機付けにもとづく行動の方が、
効果を持続し、発揮されやすいから。




なにも難しい理由ではなく、


単純に自分がこれを好きだから
という理由でも大丈夫です。



大切なことは、
その行動はなんのためにしているのか考えること。



同じ仕事一つするとしても、


誰かの目を気にして、
仕方なく取り組むよりも、



「これは自分にとって勉強になる仕事」と思い
取り組んでくれる方が、



頼んだ方も気持ちいいし、
その姿勢は見ているだけでもわかるものです。




今、全世界は初めて遭遇するウィルスとの戦いに、

本来の自分の仕事ができず、

やる気がわかない人も多いかと思います。



このブログを読んでくださっている
医療、介護、福祉関係の皆様なら


通常業務ではなく、
感染対策で毎日消毒作業ばかりしている、


こんな仕事は自分の仕事じゃない、
とつい思ってしまう人もいると思います。



でも、本当に本当に
無駄なことって世の中何一つないものです。




問題は、同じことを経験しても、

そこから学べる人と、学べない人がいるという事実。




ぜひ、どんな事態でも、
少しでも前を向いて取り組める人でありますように。




「行動」から色々と考えてみました。

成長にあわせてコミュニティやツールは変化する

【第91回】

成長にあわせてコミュニティやツールは変化する

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いつもこのブログに訪問くださり、
ありがとうございます。




みなさんは、
月日の変化や自分が成長するにつれて、


これまでの関係が窮屈になったり、
居心地が悪くなったことはありませんか?



居心地のよかったグループに
昔と同じような感覚をもてなかったり、



以前は当然のように
受け入れられていたものが、


違和感を感じて、
ひどく落ち着かなかったり疲れてしまったり。




どうして、自分はこんな風に思ってしまうんだろう。




以前は、私もそう感じていました。




大切に思っていた属性が、
自分の中で変化してしまうことは

大切だったものがなくなってしまったようで悲しいし、



自分にとっては、
かつての大事な時間が変化してしまうようで怖いことだったからです。






でも、自分の成長と共に、

これまでのコミュニティが変化することは


成長に伴う、ごく自然な変化なんですよね。





ここで、コミュニティとは何か、
一度整理します。



コミュニティ(共同体)とは:
英語で「共同体」を意味する語に由来。同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている人々の集まりのこと。(Wikipediaより引用)



あるコミュニティにおいて、

そこに属する人達も様々な経験をして、
年月とともに成長していたら、


そのコミュニティはおそらく互いに成長できる
相互に依存しあわない良い関係です。



それは「成長」のコミュニティと名付けることができます。





対して、



「いつも同じ話」「いつも同じ遊び」「いつも同じ登場人物」



同郷の友達など、とても心地よかったりしますが、

自分にとって成長をもたらしてくれるものというよりも、

「帰ってくる場所」であったり、「癒し」を感じるものかもしれません。



これを「癒し」のコミュニティと名付けます。






自分にとって「成長」できるコミュニティと、


自分が居心地の良い「癒し」のコミュニティは異なる。




人には思っている以上に

たくさんの属しているコミュニティがあります。




みなさんが家族や友人、仲間、仕事関係、趣味、地域、

様々なコミュニティに属する中で、




「成長」と「癒し」、「調和をとるために必要なもの」・・・



同じように見えるコミュニティでも、

カテゴライズすると、

そのコミュニティの意味するものはそれぞれ異なります。



そのコミュニティの
「自分」にとってのカテゴリーを意識することで、



属するコミュニティに振り回されることなく、


割と気軽に、時にさっぱりとした距離感を
保てるかもしれません。




ここを分けて考えられると、



不必要に自分を責めたり、

必要以上に悩んだりすることがなくなっていきます。




自分の「成長」にあわせてコミュニティは変化するからです。




それは、自分にとって自然な変化であり、



日々成長し、
変態(進化に伴い変化すること)している証
となります。







同様に、「成長」にあわせて

ツールも変化します。



ここで、ツールについても
語句の意味を整理します。



ツールとは、道具、工具、用具、手段、方法などの意味を持つ英単語。(IT用語辞典 e-Wordsより引用)



この場合、〈手段、方法〉という意味で語を用いますが、


こうなったらいいな、
の描いている目標があるとして、



この目標に近づき、鮮明に描けば描くほど、

その目標により近づくために

〈手段や方法〉は変化します。



わかりやすく言うと、アプローチ方法が変化する、
ということ。




大抵、夢が鮮明になってくるほど、

その実現に向かって、あれもやってみよう!
これもやってみよう!とアイディアが湧いてきます。


その方がより早く、実現できると思い
様々なアプローチ法が頭に浮かんでくる。



「成長」にあわせてツール〈手段や方法〉が変化する、良い例です。





「成長」にあわせてコミュニティやツールが変化することは、すごく自然なこと。




自分がまっすぐに伸びてきたからこそ、
感じられる正常な変化です。




その変化を前向きなものとして、
しっかりと受け入れる。




ここを悩んだり、
ストップをかける必要はありません。



ありのままで。




無理に人に合わせたり、
ペースを落としたりする必要は

決してないのです。




今日も、あなたの向かいたい方、
進みたい方に向かって
進める大切な一日となりますように。



私もまた今ある環境、仲間を大切にして
過ごす日々を大切にしていきます。

職業じゃない、生き方を選ぶ今。

【第90回】

職業じゃない、生き方を選ぶ今。

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いつもこのブログを訪問くださり
ありがとうございます。




今日は、ちょっと普段から思うことを書きたいと思います。




テーマは、

「職業じゃない、生き方を選ぶ今。」






少し前の世代まで


終身雇用制が当然の社会の仕組みで、


一億総中流社会



仕事(職業)を何を選択するかで

人生の大半が決まっていました。




どこで働き、どんな家に住み、

何を所有しているかで幸福度合いが決まり、



お隣さんも、そのまたお隣さんも同じような価値観で暮らす、



高卒か大卒かで給料や出世に影響がでたり、

就職、結婚、子育て、マイホームの購入、退職後は悠々自適な生活、



誰もがそれを疑わず、
当然のようにそんな人生を「幸せな人生」と思い描く。


誰もが同じような道を「幸せの道」と思い、歩み、


進んでいった時代。






でも、誰もが知っている通り

その時代は流れてゆき、

かつての「当たり前」は今の「当たり前」ではなくなりました。






だからこそ、私は強く思います。





「職業じゃない」「生き方を選ぶ今。」ということ。






何かの職業を選ぶ = 人生が決まる ではなく、



自分の人生の時間を 〈何に〉 使い、


〈どんな風に〉 いかしたいのか、


「生き方」を選ぶということ。






どんな「生き方」をしたいかが決まった中で、


その 〈具体的な手段〉 として「職業選択」がある


と思っています。






どんな「生き方」をしたいか、が決まった上で、



職業(仕事)を選べると、




〈何のために〉 この仕事をしているのか、

〈なぜ〉 この仕事を選んだのか、



自分の選んだ意図が明確になってきます。






ある調べによると、

この春、新卒採用された人でも、

5月、6月には転職サイトに登録し転職情報を調べる、

そんな人も現在はとても多いそうです。




もちろん、就職した先がとんでもないブラック企業だった!なんて場合は、

心と身体を壊す前に、その場所から離れることも先決ですが、


「自分のやりたいことと違う」「自分にしかできない仕事がしたい」


その思いが強く、転職を繰り返ししているのならば、





どんな「生き方」をしたい、


または


こんな「生き方」はしたくない、が決まっていたら、




冷静な職業選択ができるのではないかと思うのです。









では、私自身はどうか。






どんな「生き方」をしたいか。



それは、


全国の働く言語聴覚士をもっと幸せにしたい、と思っています。


とても素敵で社会的に価値のある仕事なのに、

自信がもてず、自分には向いていないと思っている人がいる、

心から楽しめず、仕事に打ち込めない人がいる、



本来、一人一人の持ち味を発揮できたら、
コミュニケーションのお仕事である言語聴覚士は、

その人らしく働けるお仕事だと思います。


その能力が開花できないことはもったいない。



そこを私自身の自由に生み出すフリーランスの働き方や、

ブログでの発信を通して、

全国の働く仲間である言語聴覚士を、

もっと笑顔に、もっと自由に、もっと幸せになる

お手伝いをしたいと思っています。




また、



生まれつきや、病気をきっかけに
言語障害や嚥下障害のリハビリの対象になる人、

そこに関わる家族や周りの人を不安から抜け出し

自ら元気になる力を与えたい、と思っています。




必要な専門的知識を届けることができ、

今できる予防や取り組みをお伝えする、


今ある命を最大限に活用して、

住みたい場所、一緒に過ごしたい人と過ごせる毎日や人生を

地域の専門職として援助したい




そう思っています。



構図は
「こんな風に生きたい = 自分も周りも精一杯に生きる/そのお手伝いがしたい」
が決まっているので、


その方法として、「言語聴覚士」という職業選択をしています。






生涯の有限の時間を

何に使い、どんな人に会い、どんなことを残し、
自分はどんな人になりたいか。



職業選択の前に、生き方選びが本当は先なのでは、

と、日々、どうしても思ってしまいます。




それだけ、お仕事に悩んでいる人が多いと感じるから。






そのためには、

より一層磨きをかけなければいけないことは、


自分の思いを言葉にのせられること。




これは、今の時代にかかせない

大事なスキルです。




口から出る言葉であったり、
このブログであったり、



思いは言葉にのせないと、自分以外の人には伝わりません。


言葉にのせられないと、思いは自分の中に留まってしまいます。




思いを発すると、共感する人との出逢いが結ばれていく。

思いを行動に表すと、それを見ていてくれるひとが必ずいる。

ミラーニューロン効果で、同じ思いの仲間が増えていく。



これは成し遂げたいことがある人が

実現していく過程によくみられます。




まず、どんな「生き方」をしたいのか、

そこに向き合っていく。




これは時間がかかり、すぐに答えがでないものですが、

だからこそたくさんの経験をして

自分しか歩めない「生き方」を選べるのだと思います。



「職業」選びではなく、「生き方」選び。



これが何より大事なことと思います。



私も、一貫してブレがないように「言葉」で発信しながら、
磨き上げていきます。

嘆くよりも前進を

【第89回】

嘆くよりも前進を

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いつもこのブログを訪問下さり、
ありがとうございます。




かつて経験したことのないことが
今現在、私たちの生活の中に起こり、



毎日めまぐるしく状況が変化し


刻一刻と変化する情報に翻弄されてしまったり、

疲れてしまったり、




叫びたい思いを抱えている方も
きっと、多いかと思います。






難しいことですが、あえていいます。






こんな時こそ、

心のチャンネルを少しだけ変えてみる。






ピンときにくいかもしれませんが、



「つらい」「苦しい」「しんどい」




この言葉を発することも、心の安らぎには必要です。



自分の状況は伝えなければ伝わらないから、
素直に口にすることは大切なこと。





ですが、心の中が


「つらい」「苦しい」「しんどい」で
一杯になってしまったら、



身体の疲れよりも、心の疲れがきてしまい、



ストレスの塊のように、
自分の身にズシンとのっかってきてしまいます。



こうなると、切り替えなければ

どんどんどんどん苦しくなってしまいますね。




今、苦しくなるのはしんどさが続いてしまうだけ。


個人でできることを着実に実行しているだけで、
十分前向きに頑張っている。



しんどさを背負い、ツラさでいっぱいに
ならないようにすることが、



今、必要な自分へのメンテナンスではないかと
思います。






嘆くことは簡単です。




ですが、トラブルが起こった時、


必ず二つのタイプに分かれます。





「嘆く」だけのタイプか、

「嘆くことよりも前進すること」を選ぶタイプか、です。





たくさんの人々の生命に関わる問題に


私たちは戸惑いの渦中にいますが、




それでも私たちは、


この機会に

働き方や働く時間を見直す機会を得ることになりました。




この機会に

家族との時間を大切にしたり、
近くや遠くの家族を思いやることが、今までよりもさらに増えました。



この機会に

今までの当たり前、
学校や教育や経済、人との付き合いや娯楽、

ひとつずつ、これまでのやり方が正しいのか、
もっといい方法がないのか、

もっといい距離感はないか、

一人一人行動や考え方を見直すきっかけが与えられました。



この機会に

政府の意思決定のあり方や、
海外から見た日本、日本から見た海外、

共通のテーマを世界基準で考える
強烈な機会となりました。




この機会に

食べる、寝る

栄養をとり、適度に運動し、心も身体も休息して、
衛生管理で自分の健康を自分で守っていく、


本来の身体のケアの仕方を見つめ直すことも出来ました。




この機会に

「自分の行動が、誰かに悪い影響を与えてしまうかもしれない」

自分以外の他人を気遣い労わる人が、増えました。








何か悪いことが起こった時、


そこにあるのは悪いことばかりではありません。




必ず、必ず得ることがたくさんあります。





そこをけして忘れないで、


今を生きる。





「嘆く」だけでは終わらせない、
「批判」だけで思考を止めない、



「嘆く」よりも「前進」を。





この機会に生活の在り方を考え直す、

この機会に家族とたくさん話す、

この機会により広い視野でも物事を調べ考える、

この機会にやりたかったことに手を付けてみる、



この機会に「ありがとう」を伝える・・・




「前進」の在り方は様々です。




平穏な日々が訪れることを願い、

今日一日を一生懸命に生きる。



皆様、今日もご苦労様です。
そして、ありがとうございます。



自分の心のメンテナンス、
大切に大切にしてくださいね。